今

ご存じの通り、北海道はおいしい農作物や新鮮な魚介類があふれた、"食の宝島"です。自給率は約190%で、全国トップを誇る食糧基地でもあります。それでも150年位前までは、見渡す限り荒れ野が広がり、住む人さえまばらな未開の地でした。しかし明治維新直後の日本は、新しい近代国家に生まれ変わろうと、国を挙げて様々な事業や産業振興に取り組んでいました。北海道でも1869(明治2)年、札幌に本府を置いて開拓事業を本格始動。欧米の最新技術や知識を早急に導入するべく、各分野の専門家を積極的に招き入れたのです。いわゆる「お雇い外国人」ですね。その一人に選ばれたのが、あのウィリアム・クラーク博士でした。

起源

アメリカでも名高い教育者であった彼が、できたばかりの札幌農学校(現在の北海道大学)の教頭として赴任したのは1876(明治9)年。専門の植物学、自然科学、キリスト教のほか、人間としての規律や道徳などを生徒に教え説きました。彼はなかなか革新的な人で、着任早々、寄宿舎の規則をどうするかたずねられたときにこう答えたそうです。「この学校に規則はいらない。Be gentleman(紳士たれ)で十分だ!」と。つまり、規則にしばられて物事に当たるのではなく、自分の良心に従って行動しなさいということでしょう。どうです?なかなか言えることじゃないですね。その自主自立の精神は生徒たちに深く根付き、在校生だけでなく、以降の代にも脈々と受け継がれていったのは言うまでもありません。

特徴

彼が札幌農学校で教鞭を執っていた当時、日本人の食生活は粗末で栄養バランスもほめられたものではありませんでした。白米(あるいは玄米・麦飯)とわずかな野菜、穀類、干した魚、漬物、味噌汁といった食事では、いつまでたっても欧米人との体格差が縮まらない。そう考えた彼は生徒たちの米食を禁止し、パンや洋食を食べるよう進言。ただし、野菜や肉がたっぷり入ったカレーライスだけは別だからと、大いに食べさせたといいます。国内にはまだ普及していなかった西洋野菜のジャガイモ、ニンジン、玉ねぎといった品種を持ち込み、栽培技術を教え、大規模な作付ができるようになったのも彼の尽力の賜物。カレーライスは道産食材だけでできる料理のひとつに数えられますが、クラーク博士は食材においても、北海道と深く関わっていたのですね。

エピソード

あの名言はどこで?
クラーク博士の「少年よ、大志を抱け」という名言は有名ですが、それをどこで言ったのかご存じでしょうか。それは彼が在任期間を終え、アメリカへ帰国する際、生徒たちが見送りに来てくれた島松駅逓(現在の北広島市)で残した言葉だそうです。公私に渡るつきあいも深く、生徒から慕われ、また生徒たちを自分の子どものように可愛がったクラーク博士。一人ひとりと握手を交わし、別れをいつまでも惜しんだという逸話が伝わっています。

あのポーズはどこで?
もうひとつ、クラーク博士でおなじみなのが、遥か遠くを指さすあのポーズ。でもあの銅像が北海道大学の構内ではなく、まったく別の場所に建っているのをご存じでしょうか。それは遠くに石狩平野と札幌の都心方向を見渡せる、札幌市郊外の羊ケ丘展望台です。北大構内にも彼の胸像がありますが、多くの観光客や大型バスが構内に入ると研究活動に支障をきたすという理由から、ここが選ばれました。牧歌的で、フロンティスピリットを感じさせるこの場所であれば、きっとクラーク博士も喜んでくれるに違いありません。